2006年09月11日
♪落陽 吉田拓郎

行き場がなくなったニューミュージックそしてポップスの持つ危機
著者 富澤一誠 新譜ジャーナル(1979年)より
?中年とーさんMegが辿った中学生から大学生までの音楽の軌跡と重ねて?
■第2話■
フォークの魂を持ったカレッジ・ポップス・グループ 赤い鳥 が出現
■第3話■
歌謡曲畑に見事に溶け込んだフォーク・ポップス・グループ ガロ
いや、正確に言うなら、
吉田拓郎が
♪結婚しようよ、♪旅の宿 の大ヒットで大ブームを起こすに伴い、
それまでアンダー・グラウンドだったフォークが
オーバー・グラウンドに浮上し、
ガロが登場したことでフォーク・ポップスが生まれ、
それは歌謡曲の世界へ入って言ったといえる。
うたごえ喫茶 のび♪ で♪落陽 が聴けます(⌒_⌒)
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/
ジャンル別・50音順・製作順 からお選びください
♪落陽
1973年(S48),1989(S59)
詞:岡本おさみ 曲:吉田拓郎
絞ったばかりの夕陽の赤が 水平線から洩れている
苫小牧発 仙台行きフェリー
あのじいさんときたら わざわざ見送ってくれたよ
おまけにテープを拾ってね 女の子みたいにさ
土産にもらったサイコロふたつ
手の中でふればまた振り出しに
戻る旅に 陽が沈んでいく
■第2話■
こうした傾向は、翌1970年も続いたが、
71年(S46)に赤い鳥が出現、
72年にガロが浮上するに及んでガラリと変化することになる。
(1972年 ちなみに中年とーさんMegは高校二年生)
はっきりいって、カレッジ・フォークは、フォークという言葉がついているものの、
本当の意味のフォーク精神?メッセージ性?のようなものは持っていなかった。
確かにメロディはシンプルで美しいが、芯というものが通っていなかった。
そんなカレッジ・フォークにフォークの魂をぶち込んだのが赤い鳥である。
赤い鳥は、現在(1979年)、紙ふうせんの後藤悦次郎、平山泰代、
ハイ・ファイ・セットの大川茂、山本俊彦・潤子の5人で結成したグループで、
60年代後半から関西で活動していた。
高石友也、岡林信康などの関西フォークとも活動を共にしたこともあり、
日本の民謡をペースに自分たちの歌作りを続けていくという明確なポリシーを持っていた。
そうした成果がヒットに結びついたのが♪竹田の子守唄 である。
(赤い鳥についてはこちらのログをごらんください(⌒_⌒))
当時、♪竹田の子守唄 がヒットしたことで赤い鳥の人気が高まり、
多くの人から 「あれこそフォーク・グループだ」という評価を受けたものだ。
アマチュアに赤い鳥を真似たグループが続出したことは言うまでもない。
赤い鳥は、きれいに流れすぎてしまったカレッジ・フォークにくさびを打ち込んだと言える。
女や酒よりサイコロ好きで すってんてんのあのじいさん
あんたこそが 正直者さ
この国ときたら 賭けるものなどないさ
だからこうして 漂うだけ
土産にもらったサイコロふたつ
手の中でふればまた振り出しに
戻る旅に 陽が沈んでいく
■第3話■
1972年(S47)に、
ガロが ♪学生街の喫茶店 のミリオン・セラーで登場するや、
フォークは一気にメジャーになった。
いや正確に言うなら、
吉田拓郎が ♪結婚しようよ、♪旅の宿 の大ヒットで大ブームを起こすに伴い、
それまでアンダー・グラウンドだったフォークがオーバー・グラウンドに浮上し、
ガロが登場したことでフォーク・ポップスが生まれ、
それは歌謡曲の世界へ入って言ったといえる。
(ガロについてはこちらのログをごらんください)
サイコロ転がし有り金なくし フーテン暮らしのあのじいさん
どこかで会おう 生きていてくれ
ろくでなしの男たち 身を持ち崩しちまった
男の話を聞かせてよ サイコロ転がして
土産にもらった サイコロふたつ
手の中でふれば また振り出しに
戻る旅に 陽が沈んでいく
ガロの特徴は、
アマチュア時代※↓CSN&Yのコピー・バンドとして鳴らしただけに、
テクニックの方は抜群で、そのうえファッションも派手でカッコウ良かった。
そんなグループがアコースティック・ギターを基調にした
歌謡曲風の曲をフォークに味付けして歌ったから、
ミーハーがドーっとついた。
その意味でガロは、歌謡曲風のフォーク、フォーク・ポップスを生み出したと言える。
そしてそれは、ダ・カーポなどその手のグループを生むきっかけとなる。
それにしても、72年、73年頃の人気はすさまじかった。
テレビにはたくさん出演するし、レコード大賞の大衆賞受賞、
NHKの紅白歌合戦にも出演して、ひたすらメジャーな道を歩んだものだ。
(1973年 ちなみに中年とーさんMegは高校三年生)
だからこそ、その反動として落ちるのも早かったが....。
いずれにしても、
ガロは、歌謡曲のファンをフォークに巻き込んだという点においては功績はあったが、
音楽的にはフォークを歌謡曲並にしたことはいただけなかった。
そのため、ガロが解散した後、その音楽的影響は無といっていいほど無かった。
正直言って、
このあたりまではさほどポップスの流れでは、インパクトのある出来事はあまりない。
考えようによっては、ビリー・バンバンなどのカレッジ・フォークを、
折からの新しいフォーク・ブームに便乗して
“ナウ”にしたものがガロだったと言えないこともないからだ。
ただその中に、赤い鳥だけは別に考えなければならないが....
そう思えてしかたがない。
だからこそ、ビリー・バンバン、ガロの影響は 今、ほとんど残っていないといえる。
【第2話】【第3話】おわり

■♪落陽 amazon.jp
ライブを脱ぎ捨てた味わいがまたいい!, 2005/3/9 レビュアー: TEZ
遠い昔、学生の頃に拓郎に聞き入っていた頃、あの、サバサバとした歌や、はきすてるような強い歌
そして淡々として冷たそうな、それでいて胸にグットくる歌を聴いて若い時がゆっくりと流れていた。
私の音楽との出会いはフォーク、エレキギターの絶頂時代。
もちろん吉田拓郎とベンチャーズ(寺内タケシではない。残念!)。
(もう一つ、美空ひばりもしっかりと知っている...切腹!)
ライブの洛陽は青春時代の大人社会への不安の中で力強く、
不安をかきけすような力強さにひかれて聞いていた。
ちょっと前に、テレビのドラマかドキュメンタリーか思い出せないが
ラストシーンで海沿いを走る列車を背景にこの曲が流れていた。
ゆるやかなカーブの海岸線を先頭列車両に引っぱられるように寂しげに、不安げに、
またこれをかきけすように淡々と走ってゆく列車。なんと味わいのある...。
ライブのイメージしかなかったが、何かひさしぶりに静かにいい曲を心で聴けたと思った。
ライブのにぎやかさを脱ぎ捨てるとこんなにいい歌詞、曲、歌声だったのか。
耳の奥で感じる景色は最初のあの時からは明らかに変わっていた。
はてしない旅、何処に向かうのか分からない、決まってもいない。
手の中でふれば、また振り出しに戻る旅にひがしずんでゆく. . .。
感動めいた気持ちに今、同じこの曲で再び味あわせてもらっている。あれからウン10年もたつのに. . . 。
【吉田拓郎】 出典: フリー百科事典 『ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%8B%93%E9%83%8E
吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年4月5日生まれ)は、日本のフォークシンガー。
旧芸名は平仮名の「よしだたくろう」。鹿児島県大口市生まれ、広島市南区西霞町育ち。
鹿児島市立谷山小学校、広島市立皆実小学校、広島市立翠町中学校、広島皆実高校、
広島商科大学(現・広島修道大学)卒業。
最初の妻は元六文銭の四角佳子、次の妻は浅田美代子、現在の妻は森下愛子。
日本のシンガーソングライターの草分け的存在で、
当時まだまだマイナーな存在だったフォークとロックを
一気に日本の音楽シーンのメインストリームに引き上げ、
また大規模ワンマン野外コンサート、ラジオの活性化、コンサートツアー、
プロデューサー、レコード会社設立などのパイオニアとして、
多くの地平を切り拓いた日本ポピュラーミュージック史上最重要人物の一人である。
【あの人は今こうしている?♪真夜中のギターの千賀かほるさん】
2005年9月15日掲載 【ゲンダイネット】
実はギターを弾けなかった.....
※■CSN&Y?クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング■
バーズにいたデヴィッド・クロスビー、
バッファロー・スプリングフィールドにいたスティーヴン・スティルス、
ホリーズのメンバーとして活躍したグラハム・ナッシュの三人は、
1968年にロサンゼルスでクロスビー、スティルス&ナッシュを結成し、
翌年にアルバム「クロスビー、スティルス&ナッシュ」をリリースして
グループとしてのレコーディング活動を開始する。
透明感のあるアコースティックなサウンドと美しいコーラス・ワークで
「組曲:青い目のジュディ」などのヒット・シングルを生んだクロスビー、スティルス&ナッシュだが、
さらに、元バッファロー・スプリングフィールドのニール・ヤングをメンバーに迎えて
クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(以下「CSN&Y」)が誕生する。
1969年の夏にニューヨークのフィルモア・イーストとウッドストックでの野外コンサートで
それぞれステージ・パフォーマンスを披露したCSN&Yは、
翌年の70年初頭にフル・メンバーによるグループとしての
初めてのアルバム「デジャ・ヴ」をリリースする。
いずれ劣らぬ実力派のソングライターである4人の作品がバランスよく配置され、
各メンバーの個性が絶妙にブレンドされたアルバム「デジャ・ヴ」は、
リリース直後からリスナーの強い支持を受け、
全米のアルバム・チャートで第1位 を獲得する大ヒットとなる。
1973年(S48),1989(S59)
詞:岡本おさみ 曲:吉田拓郎
絞ったばかりの夕陽の赤が 水平線から洩れている
苫小牧発 仙台行きフェリー
あのじいさんときたら わざわざ見送ってくれたよ
おまけにテープを拾ってね 女の子みたいにさ
土産にもらったサイコロふたつ
手の中でふればまた振り出しに
戻る旅に 陽が沈んでいく
■第2話■
こうした傾向は、翌1970年も続いたが、
71年(S46)に赤い鳥が出現、
72年にガロが浮上するに及んでガラリと変化することになる。
(1972年 ちなみに中年とーさんMegは高校二年生)
はっきりいって、カレッジ・フォークは、フォークという言葉がついているものの、
本当の意味のフォーク精神?メッセージ性?のようなものは持っていなかった。
確かにメロディはシンプルで美しいが、芯というものが通っていなかった。
そんなカレッジ・フォークにフォークの魂をぶち込んだのが赤い鳥である。
赤い鳥は、現在(1979年)、紙ふうせんの後藤悦次郎、平山泰代、
ハイ・ファイ・セットの大川茂、山本俊彦・潤子の5人で結成したグループで、
60年代後半から関西で活動していた。
高石友也、岡林信康などの関西フォークとも活動を共にしたこともあり、
日本の民謡をペースに自分たちの歌作りを続けていくという明確なポリシーを持っていた。
そうした成果がヒットに結びついたのが♪竹田の子守唄 である。
(赤い鳥についてはこちらのログをごらんください(⌒_⌒))
当時、♪竹田の子守唄 がヒットしたことで赤い鳥の人気が高まり、
多くの人から 「あれこそフォーク・グループだ」という評価を受けたものだ。
アマチュアに赤い鳥を真似たグループが続出したことは言うまでもない。
赤い鳥は、きれいに流れすぎてしまったカレッジ・フォークにくさびを打ち込んだと言える。
女や酒よりサイコロ好きで すってんてんのあのじいさん
あんたこそが 正直者さ
この国ときたら 賭けるものなどないさ
だからこうして 漂うだけ
土産にもらったサイコロふたつ
手の中でふればまた振り出しに
戻る旅に 陽が沈んでいく
■第3話■
1972年(S47)に、
ガロが ♪学生街の喫茶店 のミリオン・セラーで登場するや、
フォークは一気にメジャーになった。
いや正確に言うなら、
吉田拓郎が ♪結婚しようよ、♪旅の宿 の大ヒットで大ブームを起こすに伴い、
それまでアンダー・グラウンドだったフォークがオーバー・グラウンドに浮上し、
ガロが登場したことでフォーク・ポップスが生まれ、
それは歌謡曲の世界へ入って言ったといえる。
(ガロについてはこちらのログをごらんください)
サイコロ転がし有り金なくし フーテン暮らしのあのじいさん
どこかで会おう 生きていてくれ
ろくでなしの男たち 身を持ち崩しちまった
男の話を聞かせてよ サイコロ転がして
土産にもらった サイコロふたつ
手の中でふれば また振り出しに
戻る旅に 陽が沈んでいく
ガロの特徴は、
アマチュア時代※↓CSN&Yのコピー・バンドとして鳴らしただけに、
テクニックの方は抜群で、そのうえファッションも派手でカッコウ良かった。
そんなグループがアコースティック・ギターを基調にした
歌謡曲風の曲をフォークに味付けして歌ったから、
ミーハーがドーっとついた。
その意味でガロは、歌謡曲風のフォーク、フォーク・ポップスを生み出したと言える。
そしてそれは、ダ・カーポなどその手のグループを生むきっかけとなる。
それにしても、72年、73年頃の人気はすさまじかった。
テレビにはたくさん出演するし、レコード大賞の大衆賞受賞、
NHKの紅白歌合戦にも出演して、ひたすらメジャーな道を歩んだものだ。
(1973年 ちなみに中年とーさんMegは高校三年生)
だからこそ、その反動として落ちるのも早かったが....。
いずれにしても、
ガロは、歌謡曲のファンをフォークに巻き込んだという点においては功績はあったが、
音楽的にはフォークを歌謡曲並にしたことはいただけなかった。
そのため、ガロが解散した後、その音楽的影響は無といっていいほど無かった。
正直言って、
このあたりまではさほどポップスの流れでは、インパクトのある出来事はあまりない。
考えようによっては、ビリー・バンバンなどのカレッジ・フォークを、
折からの新しいフォーク・ブームに便乗して
“ナウ”にしたものがガロだったと言えないこともないからだ。
ただその中に、赤い鳥だけは別に考えなければならないが....
そう思えてしかたがない。
だからこそ、ビリー・バンバン、ガロの影響は 今、ほとんど残っていないといえる。
【第2話】【第3話】おわり
行き場がなくなったニューミュージックそしてポップスの持つ危機
著者 富澤一誠 新譜ジャーナル(1979年)より
?中年とーさんMegが辿った中学生から大学生までの音楽の軌跡と重ねて?

LIVE’73
♪春だったね’73 ♪マーク2’73 ♪君去りし後
♪君が好き ♪都万の秋 ♪むなしさだけがあった
♪落陽 ♪雨が空から降れば ♪こうき心’73
♪野の仏 ♪晩餐 ♪ひらひら ♪望みを捨てろ
■♪落陽 amazon.jp
ライブを脱ぎ捨てた味わいがまたいい!, 2005/3/9 レビュアー: TEZ
遠い昔、学生の頃に拓郎に聞き入っていた頃、あの、サバサバとした歌や、はきすてるような強い歌
そして淡々として冷たそうな、それでいて胸にグットくる歌を聴いて若い時がゆっくりと流れていた。
私の音楽との出会いはフォーク、エレキギターの絶頂時代。
もちろん吉田拓郎とベンチャーズ(寺内タケシではない。残念!)。
(もう一つ、美空ひばりもしっかりと知っている...切腹!)
ライブの洛陽は青春時代の大人社会への不安の中で力強く、
不安をかきけすような力強さにひかれて聞いていた。
ちょっと前に、テレビのドラマかドキュメンタリーか思い出せないが
ラストシーンで海沿いを走る列車を背景にこの曲が流れていた。
ゆるやかなカーブの海岸線を先頭列車両に引っぱられるように寂しげに、不安げに、
またこれをかきけすように淡々と走ってゆく列車。なんと味わいのある...。
ライブのイメージしかなかったが、何かひさしぶりに静かにいい曲を心で聴けたと思った。
ライブのにぎやかさを脱ぎ捨てるとこんなにいい歌詞、曲、歌声だったのか。
耳の奥で感じる景色は最初のあの時からは明らかに変わっていた。
はてしない旅、何処に向かうのか分からない、決まってもいない。
手の中でふれば、また振り出しに戻る旅にひがしずんでゆく. . .。
感動めいた気持ちに今、同じこの曲で再び味あわせてもらっている。あれからウン10年もたつのに. . . 。
【吉田拓郎】 出典: フリー百科事典 『ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%8B%93%E9%83%8E
吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年4月5日生まれ)は、日本のフォークシンガー。
旧芸名は平仮名の「よしだたくろう」。鹿児島県大口市生まれ、広島市南区西霞町育ち。
鹿児島市立谷山小学校、広島市立皆実小学校、広島市立翠町中学校、広島皆実高校、
広島商科大学(現・広島修道大学)卒業。
最初の妻は元六文銭の四角佳子、次の妻は浅田美代子、現在の妻は森下愛子。
日本のシンガーソングライターの草分け的存在で、
当時まだまだマイナーな存在だったフォークとロックを
一気に日本の音楽シーンのメインストリームに引き上げ、
また大規模ワンマン野外コンサート、ラジオの活性化、コンサートツアー、
プロデューサー、レコード会社設立などのパイオニアとして、
多くの地平を切り拓いた日本ポピュラーミュージック史上最重要人物の一人である。
【あの人は今こうしている?♪真夜中のギターの千賀かほるさん】
2005年9月15日掲載 【ゲンダイネット】
実はギターを弾けなかった.....
※■CSN&Y?クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング■
バーズにいたデヴィッド・クロスビー、
バッファロー・スプリングフィールドにいたスティーヴン・スティルス、
ホリーズのメンバーとして活躍したグラハム・ナッシュの三人は、
1968年にロサンゼルスでクロスビー、スティルス&ナッシュを結成し、
翌年にアルバム「クロスビー、スティルス&ナッシュ」をリリースして
グループとしてのレコーディング活動を開始する。
透明感のあるアコースティックなサウンドと美しいコーラス・ワークで
「組曲:青い目のジュディ」などのヒット・シングルを生んだクロスビー、スティルス&ナッシュだが、
さらに、元バッファロー・スプリングフィールドのニール・ヤングをメンバーに迎えて
クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(以下「CSN&Y」)が誕生する。
1969年の夏にニューヨークのフィルモア・イーストとウッドストックでの野外コンサートで
それぞれステージ・パフォーマンスを披露したCSN&Yは、
翌年の70年初頭にフル・メンバーによるグループとしての
初めてのアルバム「デジャ・ヴ」をリリースする。
いずれ劣らぬ実力派のソングライターである4人の作品がバランスよく配置され、
各メンバーの個性が絶妙にブレンドされたアルバム「デジャ・ヴ」は、
リリース直後からリスナーの強い支持を受け、
全米のアルバム・チャートで第1位 を獲得する大ヒットとなる。
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フォークソングアーティストを紹介してます。吉田 拓郎さんの紹介!吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年4月5日 - )は、鹿児島県大口市生まれ広島市南区西霞町育ちのフォークシンガー。日...
フォークソングアーティスト吉田拓郎【フォークソングアーティスト集】at 2007年04月14日 11:32
団塊世代吉田拓郎とかぐや姫 妻恋コンサート団塊の世代吉田拓郎が、齢60になるこの年、30代の頃、ブームをまき起こした静岡県妻恋でのコンサートを行った。今から30年以上も前に、...
団塊世代吉田拓郎と妻恋コンサート【団塊世代吉田拓郎と妻恋コンサート 】at 2007年05月13日 19:49
FORK酒場 Showa昭和http://www.showa.info/index.php大宮ではなく、神田のライブハウス '60~'70年代のフォークをお客様が、聴いて・弾いて・唄って楽しめるお店です。団塊世代に活力を!ご来店のお客...
団塊世代 フォーク酒場【団塊世代応援サイト/定年退職/ビジネス/趣味/企業/旅行/アンケート/健康】at 2007年05月30日 14:16
吉田拓郎吉田 拓郎は、日本の男性シンガー・ソングライター。本名同じ。鹿児島県大口市生まれ広島県広島市南区西霞町育ち。
吉田拓郎がうつ病告白【気になる言葉を辞書で調べてみました】at 2007年07月11日 23:03
霧島人です。吉田戦車の「伝染んです」読んだ人も多いことでしょう。しかしこの漫画右と左にハッキリ分かれるタイプ(つまりマニアック)我が家では五人家族のうち私と次男三男は、熱...
吉田戦車伝染んです。【霧島 想い】at 2007年09月21日 14:06
この記事へのコメント
初の書き込みで失礼します。先日こちらのサイトを見つけまして、拝見しております。
過去の作品のコメントで恐縮ですが、投稿させて下さい。
吉田拓郎、懐かしいですね~。復帰後ラストツアーも決定しましたね。最後のつま恋になります。
富澤さんの評論は昔拝見しました。一昔前はテレビでも見掛けましたね。
落陽は二つのバージョンがありますが、ライブで演奏される原曲が一番ですね。拓郎ファンや、自分にとっても思い入れの深い曲です。
さて、楽曲の新旧分野を隔てないこのサイトの傾向に、楽しませていただいてます。今後も機会がありましたら、懐かしい名曲を取り上げて下さい。
ありがとうございました。
過去の作品のコメントで恐縮ですが、投稿させて下さい。
吉田拓郎、懐かしいですね~。復帰後ラストツアーも決定しましたね。最後のつま恋になります。
富澤さんの評論は昔拝見しました。一昔前はテレビでも見掛けましたね。
落陽は二つのバージョンがありますが、ライブで演奏される原曲が一番ですね。拓郎ファンや、自分にとっても思い入れの深い曲です。
さて、楽曲の新旧分野を隔てないこのサイトの傾向に、楽しませていただいてます。今後も機会がありましたら、懐かしい名曲を取り上げて下さい。
ありがとうございました。
Posted by ラクヨウ at 2009年02月11日 08:44
こんにちは そしてはじめまして ラクヨウさん(⌒_⌒)
こんなふうに、以前のログにレスをいただけて嬉しい限りです。どうもありがとうございました。
>さて、楽曲の新旧分野を隔てないこのサイトの傾向に、楽しませていただいてます。
>今後も機会がありましたら、懐かしい名曲を取り上げて下さい。
若いときから今日までずっと、自分の周りを風のように流れてきた愛の歌が好きで、
もう一度 あの頃の未来の僕への想い あの頃の僕に伝えたかったこと
そんなことを確かめたくて、そして、もう一度心の引き出しにしまいたくてこのブログを創っています。
また、遊びにおいでください(⌒_⌒)
こんなふうに、以前のログにレスをいただけて嬉しい限りです。どうもありがとうございました。
>さて、楽曲の新旧分野を隔てないこのサイトの傾向に、楽しませていただいてます。
>今後も機会がありましたら、懐かしい名曲を取り上げて下さい。
若いときから今日までずっと、自分の周りを風のように流れてきた愛の歌が好きで、
もう一度 あの頃の未来の僕への想い あの頃の僕に伝えたかったこと
そんなことを確かめたくて、そして、もう一度心の引き出しにしまいたくてこのブログを創っています。
また、遊びにおいでください(⌒_⌒)
Posted by Meg at 2009年02月11日 13:13











